前後に伸びる肋骨の全体がじっとり濡れていて、昨日買ったばかりのTシャツが悪臭を放っている。目を覚ますと、見たことのない白い天井があった。なにをしてるのだろう。前夜の記憶を思い出すこともできず、少し経って、焦点の合わないまぶたをこする。それは石巻での制作を終えて、二日ほど東京にいたときに迎えた朝のことだった。
僕は今、金沢にいる。だから忘却と喪失について、思い出せるうちに、と急いで言葉を紡いでいる。
なにかを作ることは、それ自体が忘却の技術である。書くことは知識と経験の編集であり、描くことはイメージの腐敗で、撮ることは背後の喪失だ。そしてその忘却のなかに現れるのが鑑賞者、読者、あるいは密猟者たちである。この直面において私たち制作者は思い出す、「なぜあんなにも大切なものを置き去りして今まで!」と。
だからこそ、そこにある幸福に向けて作られたのが《あなたと同じ形をしていたかった海を抱きしめて》という作品だ。
私たちは様々な技術を失いながら、失われた世界を表象することで歴史を築いてきた。忘却自体が忘却された地平で、私たちは生き生きと生きている。そして僕は……目的を失った遺構たちがひしめき合う「現在」という名の砂漠に、どうにかして自分も何かを置くことができないものかと機会を窺っていた。何かを喪失しながら、それ自体を推進力として新たな技術を手に入れて、世界を再構成するために。
さらに言えば、芸術とは技術の残滓である。忘却され、失われた技術の残り香。つまりは文明の廃墟こそが芸術なのだという理解に基づいて現在の僕は活動をしている。何かが失われたのだという事実だけが主語を欠いて存在するような状況を制作することを、僕は望む。それは産業革命の最中のイギリスにおける、反動的な郷愁とは異なるものだ。
そしてこの夏の、2021年6月10日以降の日々はあまりに密度が高く、一日が一週間に、一週間が一ヶ月に、一ヶ月が一年に感じられるような様々な忘却に満ちたものだった。僕の経験した時間の伸縮は、コロナ禍以前の学校において可能だったものに思える。だがグリッド状に区切られたスクリーンの上に整列された人々の顔は、時間の伸縮を過去のものにした。画家の加藤泉は、(おそらく)こうしたスクリーンの状況を前提として、「粒がわかんないんだよ」と述べている。デジタルだと粒がそろってるわけじゃん。絵具は全然そろってないんだよ。俺は手で描いてるからわかるんだけど、ザラザラしてるやつもあれば、ぬるぬるしてるのもあるけど、デジタルだと全然それができない。
そうした絵具における粒子のばらつきのような日々が僕の60日だった。すべては詩と絵画を重ねて語るエッセイによって開始された。
(そんなこと聞かれても困るし、いつあなたの詩のこと知ったかなんて分からないよ。でもいざ詩集を買おうとしたら、Amazonでは売り切れていて、新宿の紀伊國屋に行ったのは覚えている。二十歳の頃から買ってたよ、現代詩手帖。昔好きだった人がたまに寄稿していたから)
Reborn-Art Festival 2021-22に向けて制作されたのが《あなたと同じ形をしていたかった海を抱きしめて》で、それは詩と死、そしてこの60日のなかで出会った納棺師からの刺激によって作られている。作品は、第二次世界大戦中に石巻市の荻浜に作られた秘匿壕を利用したものだ。その人工洞窟とも言える穴には人間魚雷が当時隠されていたらしいが、そこから特攻隊が出撃することはなく、命が失われることを前提としながら死ぬこと自体の喪失を象徴するそれらの労働は、もっとも安全な祝祭である。
葬儀業界って男ばっかだけど、納棺師だけは女の人が多いの。だから死体に触れる仕事したかったら、これしかないんだよね。
誰もいない明るい部屋で、納棺師の話を聞いていた。要約してしまえば、納棺とは、人生において皮膚が経験するすべての接触のバリエーションをリプレイする時間のようである。母の、妻の、旦那の、恋人の、名前も知らない人々の、あの接触たち。接触はときに愛に溢れており、あるときは官能的で、そして無関心さ故に誰かを優しく撫でること自体が自傷行為となることもあるだろう。心なんてなければいいのに、この身体がただツヤツヤしてたら、でも今は。そんな言葉を聞いたこともあったっけ。
しかし納棺において最も特別なのは、綿を詰める作業だ。寝かされ続け、上を向き続けた眼球は、動かなくなった筋肉によって支えられることができなくなり、眼窩の奥へと沈んでいく。だからまぶたをつまみ上げて、その下に、眼球の上に綿を詰めるの、と言う。そうして作られるのは顔ではなく、ひとつの表情で、だから遺族は喪失を忘却して生きていくことができるのだが、それはあまりに性的である。
納棺師との出会いはインスタグラムだった。彼女は、布施琳太郎の活動も作品も知らないけれど、知り合いのフォロー欄を漁っているときにたまたま僕がしていたインスタライブを見て、興味を持ったという。そしてそれ以降も継続して見てくれていたらしい。僕にとってのインスタライブとは、ひとりきりの、少し酔っ払った夜に、誰かと話したいけれど話すような相手もいなくて、でも最近考えたことが頭のなかに溜まったときに外を歩き回りながらするおしゃべりだ。だからいつも、いつか作品やプロジェクトになるかもしれないことについて話す。
それを聞き続けていた納棺師の質問は、あまりに鋭利だった。
フォローもフォロワーもゼロ人のアカウントを使ってダイレクトメッセージを送ってきた彼女は僕に聞いた。先ほど時間は恋人たちのものだと仰っていたように記憶しているのですが、布施さんにとって恋人ってどのようなもの、人たちのことなのですか? うまく言葉が出てこない。もしよかったら通話でもしながら自分の考えていることを形にしたいと伝えると、快く引き受けてくれた。それが彼女との出会いだった。
そうして逆に聞くことになった納棺の話は、僕にとって、僕の父が行ってきた死体の解剖と重なりあって特別な学びをくれた。それは死体と、私たち生きたものたちの境界を再度考え直すことを要請する経験だ。
それ以降、忘却の技術としての制作が、つまり「私」を喪失するための時間としての制作が、死者として生きるための技術として捉え直されはじめたのである。美術批評家の林道郎は、東日本大震災後の日本において「死者とともに生きる——ボードリヤール『象徴交換と死』を読み直す」を上梓した。このタイトルにおける失敗は、私たち生者たちこそが主体となるかのようなタイトルを付けたことである。
この反省と、自分自身の身体への実感に基づいて、設置されること自体が喪失を意味するような作品を作ろうと思った。作品のメインは直径3mの巨大なバルーンだが、そこでなされたことと言えば、たんに蓋をしただけである。ただそこにあった空気が囲い込まれることでボリュームが生まれることがバルーンの面白さなのだ。そこに手の影を投影し、その影を水性と油性のスプレーでなぞる。洞窟の内部は異常な湿度なため、水性の塗料が乾くことはなく時間経過のなかで描写が崩壊し続けるが、これに対して油性塗料は水分の上に乾燥した塗膜を作る。結果として、僕の設置した《あなたと同じ形をしていたかった海を抱きしめて》は流れる時間のなかで様々な仕方で失われていく。バルーンも、影も、塗料も、すべてが変化する環境のなかでバラバラに喪失される。
この喪失の時間こそが、僕が僕でなくなって開かれてゆく時間だ。そしてそれこそが時間は恋人たちのもの、と、ほろ酔いの僕が述べたことの意味であるように思える。
まったく異なる仕方で本作について書くこともできるだろうが、まず僕はこの60日を基準として言葉を紡いでおきたかった。そこで今回は昨年の11月に書いた「恋と、アナグラムの唯物論」(収録:「美術手帖 2020年12月号『特集:絵画の見かた』」美術出版社)の草稿を、石巻での制作ノートと交配することで執筆されました。
次は「嘘」について書くことで、金沢で制作した作品についての言葉としたいと思います。