展示作品の解説としてThe 5th Floorで配布しているハンドアウトのテキストです。個展「すべて最初のラブソング」は2021年9月9日20時までなので、仕事終わりにでもぜひ。
・501号室
1, Vaporな物語の条件
2015年5月に制作された《青 - ai》を、他のアーティストの映像を引用し、追加撮影を行いながら一年間かけて編集し続けたものである。
2, 教える/学ぶ、あるいは歌う
2017年7月から岡山県で開催された「牛窓亜細亜国際芸術祭」に参加した際、玉津幼稚園跡地で撮影された映像。そこには幼稚園として使用されていた当時の物品が残されており、そのなかでも壁に貼られたままであった「園歌」に僕は興味を惹かれた。もう歌われることのない言葉たちを朝日が昇るまで、繰り返し声に出し、いろいろな仕方でメロディを与え、周囲にあった木琴を叩き、自分の幼稚園時代の吃音を思い出しながら、そして自らの全身のこわばる筋肉のことを考えていた。
3, 不二一元論
2015年3月に愛知県の名古屋市民ギャラリー矢田で開催された「ストレンジャーによろしく」に向けて、一ヶ月ほどの名古屋滞在で制作された作品。当時、ISISによってアップロードされた処刑映像がインターネットに流通していた。そうした動向について調べているとインターネット上にはあまりに多くの「人が死ぬ瞬間」の映像が存在していることを知った。そうしたなかで死ぬこと、殺されることへの恐怖を募らせつつ、隣県である岐阜県にて荒川修作が作った養老天命反転地があることを考えるなかで、密教やカバラについてのリサーチを重ねた。音声は、大量のヘリウムガスを吸いながら、Google翻訳された般若心境を元に執筆した詩を読み上げたものである。
4, 加速は分裂が生成も偶然かRE:を物語(ボクをキミの)
2015年9月にオルタナティブスペース DESK/okumuraで開催された展覧会のために制作されたふたつの映像。これはSeapunkのアーティストであるUltra Demonによって提示された「メタテクスチャ」というコンセプト、そしてマイクロブログサービスのTumblrにおける「リブログ」という機能に刺激されながら、自分が誰かを好きになること、好きな人がいても気持ちを伝えることができるわけではないこと。そして僕の身体は薄っすら生えた毛に覆われていること。こうした実感への怒りを、理想の身体のための制作によって昇華した。
5, 猪の解体
2018年の秋頃、地元である湯河原のおじいさんに猪の解体を見せてもらった。この体験は論考「新しい孤独」(2019、WEB版美術手帖)において、洞窟壁画における卓越したデッサンを説明するための根拠となっている。
・503号室
3-1 青 - ai
2015年6月に東京藝術大学のギャラリーで展示されたインスタレーションの一部。本映像はボイジャーのレコードに収録された音源をマッシュアップした音声が暗転した画面のなかで再生され、開始される。本作は、当時、僕が出会った模擬刀を持った「魔法使い」からの教えと、たまたま読んだ音声中心主義な密教解釈にインスパイアされながら編集された。こうした神秘主義的な思想は、セカイ系と呼ばれる物語様式、そしてVaporwaveというインターネットカルチャーを、僕が引き受けるための道具として利用されている。ここではまだ眼差しの暴力性などいて整理された倫理を持つことはできていない。しかし重要な身体観がすでに表現された作品である。
3-2 Retina Painting
2019年8月にBLOCK HOUSEで行われた個展「原料状態の孤独を、この(その)親指の腐敗へと特殊化する」において展示された絵画。5年ほどの期間、Instagramのとある匿名アカウントが毎日セルフィーを投稿するのを見ていた。その人の顔をiPhoneのスクリーンを通してのみ知っているという状況。そこにある距離。それこそを描きたいと思った僕は、スプレーを用いて丁寧に少しずつ形を現象させていく。遠すぎるとボケてしまい、近づくと垂れる塗料。それは身体と画面の接触から絵画を解放することで、僕と名前を知らない誰かとの出会いを何度でも再演するための方法である。
3-3 still lifeのための詩
2016年4月にアートセンター参加で行われた個展「still life」のために執筆された詩。
Installation View(Photo by Yuu Takagi)