父親と話す、父親を殺す
『新しい死体』について
現在、僕は渋谷にあるPARCO MUSEUM TOKYOにて個展『新しい死体/Dead Corpus』を開催している。回顧展ではないが、この1年あまりの期間に制作した作品と、複数の新作によって構成された展覧会で、現時点の布施琳太郎が考えていること、表現したいことが総覧/経験できる空間となっているように思う。
連日、たくさんのオーディエンスの方に足を運んでいただくことができているようなのだが、より多くの人に見逃すことなく鑑賞していただきたくて、この文章を書くことにした。
というのも、展覧会というのは、終わってしまえばもう二度と見ることは叶わず、それぞれの思い出のなかで再生される以外に生き延びる術を持たないからだ。それはたくさんの展覧会をキュレーションし、企画し、作ってきたからこそ強く思う。そして展覧会の刹那的な性質とは裏腹に、作品は、未来においていくつもの環境のなかで再展示されることができる。そして今回の展示において、再展示されている作品は、まさにこうして再配置されることによってのみ可能な饒舌さと沈黙を醸しているだろう。
ここにあるのは僕がずっと関心を払ってきた「日本語現代詩の展示」という問題へのひとつの解でもある。映像やハンドアウトといった形式を通じて、日本語が/に操作され、作品と空間が形作られた。つまり、特殊な近代化の過程のなかで構築された日本語というアーティフィシャルな言語を空間のなかに弛緩させることの新鮮さが充満した個展だと、僕は自負しているのだ。
だからこそ『新しい死体』は、日本語によって教育を受けた人々にこそ、絶対に見逃されたくない展覧会である。
さて、日本語の話をしたが、それはこの展覧会の持つふたつの顔の一方に過ぎない。この展覧会において重要な主題はタイトルの通り「死体」である。だが僕は自分が「死体」という言葉を口にするとき、いくつかのことを同時に想起する。
それはまず、幼少期に父に見せられた猪の解体においてTシャツをツルンと脱ぐみたいに剥がされていった毛皮のことであり、そして父の書斎の入り口に飾られていた解剖図であり、たまに父が口にする「人間が死んでも爪は伸び続ける」「脳が死んでも生きている人間」などといった死の定義不可能な瞬間についての物語であり、父のデスクに置かれた頭蓋骨のことであり……つまり、父の傍に存在し続ける、すべての瞬間性から解放された物質のことである。しかるに、僕にとっての死体とは「誰かの死」である以前に、定義不可能な物質の状態だった。死体は父性という解しがたい対象の個人的なバリエーションですらあったのである。
僕の父は布施英利という名前の美術解剖学の専門家であり、執筆活動を行う作家でもある。そんな彼に育てられた僕は、幼少期から美術館などに連れて行かれた。しかし、美術館に行くまでもなく、家には解剖図があった。そのことと、僕がソーシャルメディアやスマートフォンを通じて思考し、経験し、築き上げてきた身体への考え方に折り合いをつけて、ひとつのビジョンとして提示することこそ、この展覧会の重要な動機のひとつである。
だが、多くの「子ども」たちがそうであるように、父の手垢の付いた言葉や事象に対するアンビバレントな気持ちに決着が付くまでに時間がかかった。しかし唐突に転機は訪れる。ちょうど一年ほど前、私的な恋煩いによって精神的に錯乱していた僕は、京都に住む友人の批評家の家に一週間ほど宿泊させていただいたのだが、その際の対話が大きな刺激となって、父から精神的かつ思想的な距離を取ることを止める理由になった。
そこで話された内容を、現在の僕が再度言語化するのなら以下のようになるだろう。
布施英利の師である養老孟司は、日本社会において最も信頼された知識人である。養老は医者であるが、個別具体的な患者の生/死ではなく、今日の社会における生と死の一般的な倫理を説くことを期待された思想家でもある。つまり身体への直接的なオペレーション(治療としての自然科学)が、そのまま抽象的な理念の構築(思想としての人文科学)と交差する地点に養老孟司はいるのだ。そして布施英利とは、まさにこの稀有な立ち位置を部分的に反復しながら、社会的な影響力と彼個人の思想の構築に成功している。
これはあくまで布施による要約だが、この話は、そのまま手塚治虫におけるマンガやアニメを医学的な知見に基づいて構築する独自の方法論とも響きあって、僕のなかでの父への知的な関心が大きくなっていくのを感じさせるものだった。
時は巡り、いくつかのテキストを読んだ。まず読んだのは90年代の渋谷にあったアートスペース「P-HOUSE」で父がキュレーションした『岡崎京子』展における、父と岡崎、村上隆らの対談の文字起こしだった。しかし、最も刺激的だったのは『死体を探せ!バーチャル・リアリティ時代の死体』(1993年, 法蔵館)、『図説・死体論』(1993年, 法蔵館)である。この2冊は相互に補完し合うもので、前者が死体についての理念や思想を言葉で記述したものであり、後者は父の考える死体についての思想が数多のイメージを通じて視覚的に開示されるものだ。
前者では、以下のような記述がなされている。
この国に足りないのは「死体感覚」にほかならない。日本の「都市」は、死体に代表されるような「自然」を、ひたすら排除する。それを私たちは「脳化」と呼んでいる。脳化都市では「自然」は実体を失い、電子の映像などとなって氾濫する。そこには自然がない。いまこの都市に生きるものにとって大切なのは、「自然」の感覚を取り戻すことだ。たとえば「死体」に親しむことだ。そのためにプラスティネーションの死体標本には深い意味がある。死体に触れる機会を提供することになるのだ。
『死体を探せ』p.27
僕なりの語彙で要約すれば、都市に生きる市民が忘れてしまった「自然」という脳化都市の外部を、その内部に存在する人間の「死体」というインターフェイスとの触れ合いを通じて回復させることが可能であり、必要なのだという指摘だということになる。そのためにプラスティネーションという、死体が内包する水分を樹脂に置き換えることで腐敗から防ぐ技術の有用性を父は取り上げる。それは現代版のミイラとも言えるもので、人体をテーマとした展覧会の際に、国立科学博物館などでもプラスティネーションを施された死体の展示が行われているのを僕も見たことがある。
ここで、あくまで、死体に触れることが「自然の感覚を取り戻す」ための方法として取り上げられていることに僕は興味を惹かれた。個別具体的で、あくまで共時的な対象である死体というインターフェイスを介した、自然という普遍的な領域の回復。それは僕の芸術実践において最終的なブラックボックスとなっていた、今日のデジタルガジェットやアプリケーションのオルタナティヴとなるようなインターフェイスの設計——それを死体という対象を通じて考え直す可能性である。
これに気がつくことができなかった理由は、「死」と「死体」のあいだにある差異に僕が気がつくことができていなかった事実に由来する。つまり死とは芸術における一般的なテーマであり、そこでは葬儀、恐怖、宗教、共同体といった問題系が交差するが、それはひとつの観念に過ぎない。だが死体という言葉で思考を開始してみると、そこにあるのは徹底的に唯物論的な思考である。つまり死体において想像されるべきなのは、葬儀ではなく埋葬であり、霊魂ではなく腐敗、恐怖ではなくその後処理に纏わる疲労、共同体ではなく孤独を考える必要があるのだ。
こうして僕は、父の仕事に対する知的な関心を取り戻すと同時に、僕にとっての芸術実践に必要な指針へと一歩近づくことができた。その宣言として『新しい死体』という展覧会は存在する。
これが世間で言われるところの「父親殺し」というものへの一歩なのかもしれない。そしてそのためには、父親の持つ面白さを世間に知らしめる必要がある。自分の活動を通じて、父の仕事の価値を再度照射できるのならそれを「親孝行」と呼びたいし、そしてその親孝行を通じて「父親殺し」も実現できたらと思っている。
30年前の布施英利が、布施琳太郎が息子であるか否かにかかわらず「面白いアーティストがいるんだな」と感じてもらえたら、それは嬉しいことだ。ようやくここまで来れた。
そして、ここにある父親との向き合いを個人的なものにとどめずに、あくまで公共的で同時代的な必然性を伴った芸術実践へと昇華することができているのではないかと思うから、できるだけたくさんの方に個展『新しい死体』を見ていただきたい。
写真:竹久直樹