剥離する顔、あるいはRetina Paintingというインターフェイス
1、
いくつものパーティクルが落下する。風が吹く。隣の部屋から音楽が聞こえた。板の前に置かれた身体が、名付けられた器官たちのアウトラインに沿って解体される。吐き気。バラバラになった器官が、気圧の変化や重力、海の向こうのサーバーに保存された画像ファイル、スプレー、記憶、名前を知らない人たちのベッドルームなどと関係することで、板を汚し、いくつもの「顔」を現象させた。
そうした時間の積み重ねによってのみ《Retina Painting》と名付けられた絵画シリーズの制作を続けてきた。これまでに何枚描いたのだろう? 数えることもできるのだろうが、その枚数について考えることがなかった事実こそが、このシリーズに布施琳太郎が固執する理由に思えた。
インターネットにアップロードされたセルフィーをスプレーで描くという技法=コンセプトに基づいて2016年12月末に開始されたのが《Retina Painting》シリーズである。その後は自作のテント型カメラオブスクラを用いてなぞり/うつす方向性が模索されたり、ラッカーや水性、油性のスプレーの併用が試みられたり、さまざまな画面比率が実験されたり、雨のなかで描かれたり、タイトルを《プラスチックの顔貌》へと変更する——英題は”Plasticity Faciality”であり「可塑性の顔貌性」と表記することもできる——などの揺れ動きのなかで今日まで絵画が量産され続けてきた。
そのなかで唯一変化しなかったのは「画面に触れない」というシンプルな制約である。スプレーのノズルが画面に近づいたり、離れたりする時間こそが描画だった。
しかしディテールを現すために近づきすぎたノズルから噴射された塗料は重力に従って画面から垂れ、逆に遠ざかることで風に煽られた塗料が陰影を溶かす。そうして距離を測るなかで「顔」が現れると同時に、失われていく時間。もう会うことができない、話しかけても応答することのない身体たちと関係を持ち続けたかったから、僕は絵を描いている。形が現れることによって、失われていく時間こそが重要だった。
2、
時を遡って考えてみれば、当初の《Retina Painting》とは、セルフィーにおいて被写体=撮影者の「顔」のあいだに存在するインターフェイス——スマートフォンのスクリーン、カメラアプリ、そして撮像素子が捉えた光学的情報にたいして瞬間的に実行される画像編集のアルゴリズム、コンピュテーショナルフォトグラフィ、あるいは鑑賞者? つまりiPhone——の、別の実行可能性として、描画する僕の身体(たち)を位置付ける試みであった。セルフィーというイメージの生成過程におけるインターフェイスの、その「間-顔」(inter-face)における複層的なプロセスを、描画を通じて代替すること。それはインターネットを通じて、あるいはこの手の上のインターフェイスによって「向き合わされた顔たち」にたいして、被写体=撮影者の物質性を取り戻させようとする試みである。その描画は、ネットワークのなかの「顔」を隔絶し、孤独を回復させようとすると同時に、作者が個であることを放棄する両義性を絵画と呼ぼうとする実験だ。
(ここで僕は所謂「グラフィカルユーザーインターフェイス」(GUI)ではなく、より広範な意味を持つ概念として「インターフェイス」という語を用いている。そしてこうした複数の、重ね合わされた論理こそがインターフェイスとしての描画なのだと思う)
3、
しかし、少なくとも《プラスチックの顔貌》というタイトルを与えた2020年11月の時点で、別方向の展開がはじまった。正直に述べて、数十、数百枚の絵画をスプレーを用いてつくっていたので、ある時期からモチーフとしてのセルフィーを見ても見なくても、同じような画面を作ることができるようになっていた。つまり観察描写という伝統が、ある種の自己模倣に成り下り、すでに意味をなさなくなってしまったのだ。そこで僕は新たな試みを開始する(もちろん制作は複合的な実践であり思考だ。そのため、その渦中に施された変更を正確に把握することは困難である。よって事後的に技術的な特異点を見出したにすぎない)。
近年の制作過程を平均化すると以下のようになる。
画面比率にあわせて最適に思えるバランスで三つの暗色の点を画面に打つ
その点をふたつの眼と、鼻の下の影として捉え直して明暗を与えていく
そうして出来上がりつつある暈けた顔を画面から離れて眺める
その顔と、似ている顔をスマートフォンの画像フォルダ、あるいは記憶のなかから探す
画像を見ながら、あるいは何かを思い出しながら描画と修正を行う
スプレーの特性と、僕の再現描写能力の不足によって瞬く間に顔の印象が変化する
以降3〜6を繰り返す
夜が来て描画ができなくなる
こうして「類似」と、「類似からの剥離」を行き来するなかで描画が行われる。このプロセスを知ればわかるように、描画結果として現象する顔は、もはや誰でもない。だから僕の身体は、描画のための複数のプロセッサのひとつに過ぎないのである。複数のプロセッサによる演算を介して、画面が変化し、形が現れると同時に失われる時間。それに名前をつけたかった。
昨年の冬ごろ、僕は制作と並行して、カトリーヌ・マラブーの「偶発事の存在論:破壊的可塑性についての試論」(2020、叢書ウニベルシタス)を読んでいた。彼女は、取り返しのつかない脳の損傷——心的外傷後ストレス障害や認知症、カフカの「変身」におけるグレゴール・ザムザなど——を思考するために「可塑性」(plasticity)という概念を提示する。さらに、そこから連想したヨーゼフ・ボイスの「社会彫刻」(英語ではSocial Sculpture、ドイツ語でSoziale Plastik)などと比較しながら描画のプロセスを捉えようとしたからこそ、《プラスチックの顔貌》(Plasticity Faciality)へとタイトルを変更することを試みたのだ(しかし一年の月日を経て、あらためて《Retina Painting》へとタイトルが戻される)。
《Retina Painting》における描画は、なにかの表象ではない。それ自体がアクチュアルな実行である。抽象絵画を描くように配された三つの点に基づいて与えられた明暗が「顔」になることで「誰か」と類似しながら、複数のプロセッサ——さながらヘテロジニアス・マルチコアのような——による描画を続けることで、誰でもなくなって、別の「誰か」と類似し始める。その現象の場として、僕の身体の各種器官と画面、スプレー、突然の突風、重力などによる協働作業が利用されるのだ。
このプロセスは無限に続けることができるように思われるかもしれないが、そうではない。スプレーによる描画は有害物質を含むエアロゾルを撒き散らすし、周囲を汚すので、制作は屋外で行われる。だから夜が来ることこそが、終わりなき運動——類似と、その剥離——の終了を意味する。
夜に向かって周囲が暗くなることで、僕の網膜の上の錐体細胞(三限色を受容する網膜の部分、暗所では機能しない)が画面を捉える能力を失い、桿体細胞(色彩を識別することはできないが、わずかな光も受容可能)だけが画面を捉えはじめる。こうして段階的に描画者の網膜が機能を失っていくことで絵画が完成を迎える。
だから《Retina Painting》はモノクロなのだ(と思う)。
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こうした前提で今回(2021年10月)の制作を続けていくうちに「可塑性」以上に重要なのは「網膜」なのではないかと思えてきた。画面の上には錐体細胞と桿体細胞の分布のように——または液状化したディスプレイ、あるいは透明なスライムにプロジェクションされた映像のように——粒子がばらまかれている。それらのパーティクルは形を得たり、失ったりし続ける。
描かれた画面に触れていると、描画の成果物を「可塑性」と呼ぶよりも、もう会うことのない誰か、これから生まれ/生まれず、出会い/出会わないのかもしれない誰かたちの現象として捉えたいから、ひとつひとつの板を「網膜」と呼ぼうと思ったのだ。
僕は、自分の身体がサイボーグのように機械化することを、夢見ているのではない。あくまでインターフェイスの謎、つまりインターフェイス越しに育まれる親密さや恋心の理由を解き明かすためにこそ、別のインターフェイス(の一部)へと僕の身体が変質することの可塑性に奉仕することを夢見ている。
この身体が解体されて、別のシステムの一部となること。なにか主体性を伴った身体ではなく、この世界のどこかに存在する/しない身体の孤独のためのインターフェイスとして僕は駆動したい。それによって事後的に現象する顔。「I face your face.」(僕はあなたの顔と直面する)。
洞窟壁画における「触覚的変質」は、セルフィーにおける「自分の網膜=iPhoneのスクリーンに映り込んだ自分の顔」と同じく、孤独を取り返す手助けをしてくれる。それは自分が自分に語りかけることを、自分自身と直面することを可能にし、主体と身体の乖離に対して抵抗する。
5、
こうして形を得ると同時に失われていく「顔」はひとつの世界観でもあるだろう。それはスタニスワフ・レムによるSF小説「ソラリス」において、地球人類の記憶を形態化/物質化するソラリスの海への憧憬に由来する(かもしれない)。
主人公が地球で失った妻が、ソラリスのプラズマ状の海によって再来する。しかしそれは妻ではなく、「記憶している限り」の妻だ。予期を裏切ることのない妻にたいして感じる不気味さから、主人公はなんども妻を殺す。しかしその妻は記憶の形態化/物質化であるがために、なんどでも再来するのだが、最終的に自我? を得ることで妻(としての原型質の海)は自殺する。こうして「自殺するイメージ」のようなものを作りたくて僕は絵を描いているのかもしれない——そうした意図でキュレーションされた展覧会が「ソラリスの酒場」(The Cave/Bar333, 2018)であり、そもそもキュレーションとは、すべてたちの自殺に奉仕する営みであるように感じる。
僕が問題にしているのは、なにかを作ること、なにかを現象させることの身勝手な被害者性なのかもしれない(そうではないだろうと思うが)。確実なことは、制作のなかで確実に失われていく「布施琳太郎」が、展示発表のなかで再来することに「僕」がつねに驚き続けていることだ。この驚きの外部で、誰かが個を獲得し、本人すら知らないところで孤独に到達することを、僕を含めた「誰か」たちが夢見ている。
その夢のために灰色の板が役立ってほしいし、僕はソラリスの海になりたい。
* キュレーションも、執筆も、なにかしらの編集も、僕は実践し続けるだろう。その傍らで描画が並走する理由を、現時点の実感と理論を言語化して遺しておくために、以上のテキストを執筆させていただいた。念の為に断っておくと、このテキストは勢いで書かれたためファクトチェックなどはなされていない。また同一の語が異なる定義や用法で使用されている部分もあるかと思う。勢いに由来する誤謬は、僕の責であるが、それも必要なこととしてここに公開する。