二年くらい愛用していたBluetoothイヤホンを芸宿(金沢美術工芸大学の近くにあるアートスペース)に置いてきてしまったから、以前から気になっていた骨伝導ヘッドホンを買った。
それは振動するユニットで耳の周囲の頭蓋骨を左右から挟み込むことで、骨を通じて鼓膜を振動させる仕組みだ。それによって、空気を振動させる通常のイヤホンのように耳に差し込んだり、ヘッドホンのように耳を包み込むような形ではない、独特な形をしている。独特と言っても現状のデザインは、既存のイヤホンやヘッドホンと似たものに過ぎない。しかし構造的には、頭蓋骨を挟めればいいわけだから、今後もっと奇妙な造形の骨伝導ヘッドホンが登場することが待ち遠しい。
僕が購入した骨伝導ヘッドホンはAfterShokzというブランドのものだ。AfterShokzは骨伝導という技術を難聴者のためではなく、オープンイヤー、つまり耳を開くために用いてるそうだ。その理念を記したテキストは「一般的なヘッドホンによる音楽体験は、時として使用者を孤立させてしまいます」という言葉からはじまる。
それ(AfterShokz)は人々を孤立させ、各々を引き離すのではなく、人々を結びつけるものです。私たちは、この未来を実現するために、たゆまぬ努力を続けてきました。オープン・イヤー・スタイルの骨伝導ヘッドホンを開発するきっかけは、まさに、このビジョンを実現するためなのです。1
ここで暗に、しかし明確に対置させられているのは、ノイズキャンセリングを搭載したイヤホン/ヘッドホンだろう。それは周囲の音をマイクが収録し、取り込んだ音の逆位相となる音をイヤホン/ヘッドホン内部の回路が生成して、それを音楽と一緒に再生する。結果として、反転した周波数同士が打ち消しあって、周囲の音は消滅するという仕組みだ。
かくいう僕が金沢に置いてきてしまったイヤホンもノイズキャンセリングを搭載したものだった。それはSONYのWF-1000XM3というもので、左右独立型のBluetooth対応のノイズキャンセリングイヤホンである。
購入直後は、色々な場所をこのイヤホンを付けて歩き回った。なかでも夕方の河川敷で、ノイズキャンセリングの機能をオンにしたときの体験を忘れることができない。流れる水の音だけがパッと消えた。目の前の傾いた太陽に照らされるすべての草木が、ビルが、水が、物質からイメージに変質したように——スクリーンに投影された映画のように——見えて感動し、太陽が沈んで完全な暗闇が訪れるまで座り込んでしまったのを覚えている。つまりノイズキャンセリングイヤホンは電気的な耳栓としても役立つのだ。
だが基本的にノイズキャンセリングは、音楽への没入を目的としている。その没入のためにこそ周囲の音を消すのだが、それは背後から近づく車両や友人の声までもを消去してしまう。たとえば自転車や車を運転するときや、散歩をするときにノイズキャンセリング機能をオンにするのは危険なので、そういうときに使用することはできない。
ここに目をつけたのがAfterShokzだ。AfterShokzは閉じられていく耳を開くことで、周囲の音と音楽を二重に受容するために、骨伝導を利用する。それはアップルによるAirPods Pro/AirPods Maxがノイズキャンセリングと同時に提供する「空間オーディオ」に対する批判としても成立するものだろう。
空間オーディオとは、音響的な仮想/拡張現実のようなもので、イヤホン/ヘッドホンの利用者の周囲に仮想的な音楽空間を立ち上げる。たとえば頭部が右を向いたり、傾いたりしても、ある固定された位置にギタリストが止まり続けるような体験を提供するものだ。
だがその没入感は批判されるべきだと思う。なぜならアップルの理念に従うなら、没入と空間オーディオが共存することはないからだ。
まずアップルが、その理念に基づいて牽引したグラフィカルユーザインターフェイスは、仮想的なアイコン(たとえばゴミ箱)の操作を、コンピュータにおける言語的な命令(ファイルの消去)と同期させることで老若男女の直感的なユーザエクスペリエンスの実現に役立てられた。それは視覚的かつ触覚的なイメージとシンボルの操作である。こうしたビジョンの徹底として、iPhoneX以降のアップル製品のスクリーンの頂点が角丸になるという状況はあるのだと僕は捉えている。iPhoneの片方の面にスクリーンが搭載されているではなく、ひとつの流体的な物質として、コンピュータにおける言語的な領域をブラックボックス化してアクセス不可能とすること。そうして、机の上に置かれたマグカップに注がれたコーヒーと同じようにiPhoneが存在し、操作されることこそがアップルのビジョンなのだと思っていた。だからこそヴァーチャルリアリティ(VR)的な方向性の製品やプロジェクトではなく、オーグメンテッドリアリティ(AR)に力を入れているのだと思っていた。
しかし空間オーディオは、使用のされ方によって、このふたつのリアリティのあいだで揺れ動く。たとえば街中で空間オーディオを使用する場合、空間的に定位させられた音は、AR的な経験となる。だが、たとえば画面を注視することを要請するミュージックビデオや映画などの場合、そこではVR的な過剰な没入が発生してしまう。
空間オーディオが、AirPods Pro/AirPods Maxに搭載されたノイズキャンセリングと併用されることを考えると後者の状況こそが多発するだろう。しかしそうして閉じられた耳はアップルが貫いてきた理念を自ら否定することにつながるのではないだろうか?
そしてAfterShokzによる骨伝導ヘッドホンは、そもそも音楽をAR的に扱うことを目的としている。耳を開いて、コミュニケーションを誘発することを目的としている。だからこそ、空間オーディオが、もしも骨伝導ヘッドホンとともにあったなら……そこでは音楽がARとして現実の都市空間のなかに重ね合わされることを意味するのだ。
そこでこそ、私たちはグラフィカルユーザインターフェイスの音響的実装を夢見ることができるだろう。
https://aftershokz.jp/pages/be-open
開閉する感覚器官(1)
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